炭本怡和雄さん
『田舎暮らしの本』07年12月号に炭本怡和雄さんのことが紹介されていた。僕が炭本さんに最後にお会いしたのは1990年の夏だったと思う。レンタカーを借りて、5人の若者と一緒に東京から奈良県山辺郡山添村へ炭本さんに会いに行った。
炭本さんは、戦前、「満州開拓団」に加わって、彼の地にクリスチャンの村を創ることを夢見て出掛けて行かれたらしい。けれども結果は惨憺たる状況になって、やっとの思いで帰国してみると、大阪には戦災孤児が路上にあふれていた。これらの子ども達を集めて寮を造って住まわせたりした後、山添村での開拓に関わり、ここでお茶を栽培する農家として再出発された。自宅を日曜学校として開放する旁ら、地区の農家が集まって「むつみ会」という団体を作り、家庭裁判所から補導委託を受けた非行少年達をあずかり、その更生に貢献する仕事を終生の仕事として取り組んでおられた。
私は、1970年代に家庭裁判所の職員として働いていた時に、自分の担当していた少年をあずかってもらい、山添村に何度か出掛けたことがあった。一家に一人の少年をあずかり、全体のコーディネーターの役割を炭本さんが果たしておられた。あずけられた少年達の事後の成績はとても良くて、各少年の向き不向きをきちんと間違えなければ、とても良い結果が得られて、信頼できる補導委託先の一つであった。
既述のように、10年以上経過した後に、私は東京から若者達と一緒に出掛けて、炭本さんには若い人たちの多くの質問に答えてもらった。ご自宅はやはり日曜学校の集会所となっていて、古い廃棄した車から何か植物が沢山生い茂っていたのが妙に印象深く覚えている。
何もない所から、形のあるものを生み出す人たちのエネルギーはやはり半端ではなく、若い人たちが何かを感じてくれたと思う。この雑誌によると、既に亡くなられたようだけれど、関わりを持った私には忘れられない大先輩のお一人である。
ゼロから何かを生み出し、育て、それを社会に有用な組織として育てて行かれた先達の方々のエネルギーに頭が下がる。自分の人生の小ささを痛感する。
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