『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(町山智浩著)という本を読んだ。僕はこの町山という人のアメリカレポートが好きで、ラジオなんかで結構よく聴いている。この本は、ラジオですでに聴いていた内容も多く含まれていたが、アメリカという国の病理と、可能性について改めて考えさせられた。
「キリスト教原理主義」とでも言える人たちの、トンでもない信仰観や生活信条にあきれかえるし、この人たちが政治の表舞台に出てくることの怖さをヒシヒシと感じさせられた。それでもまだアメリカには可能性があるという趣旨のことを、町山さんは最後の方で述べていて、その可能性に期待したいとは思うが…。
一方、私たちの国にも、「自民族無謬性歴史観」とでも言える感覚に固執する人たちの群れがある。どの国にも、一つの考え方で全てを割り切ろうとする単純思考の人たちがいて、…いること自体は否定しようもないし、そういう考えもあるのだなあと聞き流せるが…、この様な人たちが国の政治や行政の中枢を占めるようになると、その社会はたちまち悲惨な状況になるのだと思う。様々な考えが共存し、様々な価値観がせめぎ合いながら、世の中は中道的な路線を歩むことができるのだと思うのだが…。 たもがみ某という人物の「論文」が話題になり、この「論文」の選考委員長がわたなべしょういちという人物で、この人物が稀代のトンでも論者であることは、もう徹底的に知られているはずなのに、…随分昔に立花隆氏によって完全に論駁されながら、恥ずかしげもなく「トンでも論」を繰り返すことができる彼の神経にただただ驚くし、彼を名誉教授にしている某大学にもびっくりする。
トンでも論者の皆さんは、どうぞ自宅の近くで、「床屋談義」でもしていてください。政治や行政の表舞台に出てきて、世の中を攪乱することだけはやめてもらいたいと思う。
12月になった。去年の12月から、とてつもなく疲労困憊の一年のように思う。もう少し楽しいことも書きたいと思う。
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