水田に囲まれた所にゆっくり流れる水路がある。その水路は幅が4~5メートルで、両岸に雑草が生い茂っていて、間違ってずぶずぶと水路に落ち込む危険性がある。水は濁っていて、底は見えない。そこで釣りをする。竹の竿で、ミミズを餌にして釣りをする。小さな鮒(フナ)がよく釣れた。頭の所に見える5角形(?)が魅力的(!)だった。
我が家の北側の50メートルくらいの所にL字型の結構大きな池があった。この池は綺麗な水で、底の方まで良く見えた。ここで僕は魚を捕るための瓶(削り節をフライパンで煎って、香りが強く出ている状態のものを入れて、魚が一度入ると出難くしてある仕掛けのある瓶)を沈めて、結構沢山のモロコと呼んでいた細身の魚を捕った。これは母が佃煮のようにしてくれて、食べた。
我が家の南側の100メートルくらいの所に、四角い大きな池があった(これは後に僕の母校になる高校の敷地内にあった!)。僕たちはここでライギョ(当時僕たちは“たいわんどじょう”と呼んでいた。)を良く捕った。大きい釣り針を太いタコ糸の先に付けて、どこにでも沢山いた蛙を餌にして、手でグルグルと回して、遠くまで放り投げて30㎝以上もあるライギョと「格闘」しながら釣り上げた。少し高いところから見ると、水面にライギョの子ども達が群れていた、そこをめがけて餌の付いた針を放り投げると、その下に親ライギョが居た。この時の「格闘」が忘れられない。前にもどこかで書いたと思うけれど、ライギョの子ども達は大きめの網で一網打尽にすくい上げた。これを自宅に作った池に入れておくと、またたく間に「共食い」をして、いつも一気に減ってしまうのだった。
この池に注ぐ小さな小川があった。池に注ぐ所に出来る小さな砂州。それを縫って流れる小さな川で、僕たちは日本手ぬぐいでメダカを沢山すくい上げた。また雨がひどく降った後、この川をバケツと網を持ってさかのぼり、ザリガニを沢山捕った。ザリガニは茹でて沢山食べた。またこの池でタニシも沢山捕って食べた。
後年、1980年代、福岡県の直方の水田に囲まれた用水路で友人と魚を釣った。英彦山川ではバスが釣れた。1970年代に群馬県の富岡市にある貫前神社の裏にある小川でフナを釣った。 またやってみたい。浅い小川、両岸が草に覆われている所に網を持って入り、足でがさごそさせながら獲物を追い、網を上げると思わぬ“大漁”だったりする、あのドキドキ感が懐かしい。
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