☆…地震の後、久し振りに会う人と交わす言葉に必ずと言って良いほど含まれる「あの時はどこに?」と言う言葉!
☆…もし僕が、東京都内の障害者センターではなく、三陸海岸のどこかの町の障害者センターの相談室にいたとしたら、直ぐに津波の心配をして、話していた人と一緒に高台へ逃げるという行動を取れていただろうか(-_-;) 余りの激しい揺れに狼狽え、右往左往している間に津波に飲み込まれてしまっていたのではないだろうか! 実際、きっとあの時間帯に三陸海岸のどこかの町の障害者センターで、誰かが誰かの相談に乗っていたはずで、その人達はどうされたのだろうか?(-_-;)
☆…考えてみれば、自分が「そこ」にはおらず、「あの時はどこに?」と、振り返る立場にいる事はただただ幸運だったと言う他はない。 一体何と言う幸運の積み重ねで、もうすぐ65歳という年齢まで生きてきたことか!様々な、無念の思いを抱えて一瞬の内に生命を奪われた方々のことを思うと、また彼らを救えなかったという重い傷を心に負った人達のことを思うと、停電とか、余震とか全て大したことではないはずで、些細なことだと思う!
☆…今僕たちが直面している課題で最大のものは、原発のことに移っていて、海外の報道では「すでにチェルノブイリを超えている」とも言われている。残念ながら、政府や東電や、専門家と言われる人達の言葉が、もう信じられなくなっている。どこまで行って収束するのか? 収束できるのか? 楽観的にはとても考えられない気分に皆がなりつつあるのではないだろうか(-_-;)
☆…僕は地震の後の三連休を使って、前から予約していた1人旅をキャンセルせずに、加計呂麻島と奄美大島へ三泊四日の旅に行き、さらに福岡で入院中の友人の見舞いにも行ってきた! この行為は許されるのかと、自問自答しつつ、ぐずぐず思い巡らす今日この頃である(-_-;)
☆…「あの時」と「その後」をどう生きたのか、は後々きっと尾を引きずるテーマだと思う! 僕には「予定通り1人旅をした」という重い課題が付いて回ると思う!
コメント