11日の大地震は自分のこれまで直接経験したことのない揺れ方だった。僕は東京都内のK市の障害者センターで、視覚障害のある方の相談に応じていた時だったが、突然揺れだし、その横揺れが徐々に大きくなり(縦揺れは感じなかった)、とても普通に座っていることが出来なくなり、相談室の出入り口を開き、テーブルの下へ潜り込み、互いに励まし合うように声を掛けながら、揺れに耐えた。 コンクリート造りの3階建ての建物の1階がこんなに波打つように揺れることにただただビックリさせられ、スケボーの上に乗っているのではないかと思えるような気分であった。 揺れる時間が非常に長く、最初の揺れがおさまったかと思う間もなく直ぐにまた揺れ出し、最初の揺れは10分以上も続いたのではないかと思えた。また余震と思われる揺れが断続的に続き、最初の30分くらいはずっと揺れ続けていたように思う。 建物のあちこちから様々な音がし、壁際の作り付けの棚のドアが次々と開いた。エレベーターが止まり、非常ベルが鳴り、館内放送が流れ、センター側から外の駐車場に避難するように指示され、外に出た。 利用者の方々も職員の誘導で皆さん外に集まり、不安げに周りの14階建てくらいのアパート群を見上げた。そうする間もなく二度、三度と大きな横揺れが続き、とても不安な時間であった。横揺ればっかりだったので、震源地はきっと遠方ではないかと思われたが、本当に恥ずかしながら心も非常に動揺していた。 …これを書いている今もまた我が家はかなり揺れた…、センターの上の階では本棚等が倒れ、知的障害の皆さんの動揺も激しかったようだ。 近くの樹木も青空に広げた枝々を大きく揺らし、不安な叫び声を上げているように思えた。 とにかくとても怖かった。震源地近くの人達の恐怖を思うと、それにもし直下型の地震が起きたら一体どうなるのかと、不安ばかりが広がった。
この日、息子夫婦が「帰宅難民」となったため、孫の保育園に替わりに迎えに行った。子ども達は近くの小学校の体育館に避難しており、「防空ずきん」のようなものを被らされて迎えを待っていた。2歳ともうすぐ5歳の孫と一緒に息子達の家に行き、息子達の帰宅を待った。電話がほとんど通じず、メールは時々まとまって通じるという状況で、なかなか息子達の状況が把握できなかった。テレビのニュースを見ていると、孫娘は画面に見入り、津波で流される車や家々の様子を見ながら、「車に乗っていた人はどうしたの?」と言いつつ涙ぐんでいた。 一方2歳の孫息子は、爺さまの「ニュースを見ようよ」という説得にも応じず、「仮面ライダーを観たい」と言って泣き叫び、2歳と5歳の子どもの発達の違いを痛感させられた。仕方なく録画されていた仮面ライダーを再生した。
この夜は「余震」と思われる地震が続いた。孫達は僕の「あり得ないお話」を聴きながら、眠ってしまったが、僕は余震の都度ビクビクして、ほとんど眠ることが出来なかった。朝4時半過ぎに息子の妻が疲れ切って帰宅し、後を託して居眠り運転しないかと思いつつ車を運転して自宅へ戻った。疲れ切った。
さて、昨日から原発の事故が非常に気になる事態になっている。この事では、いろいろ言いたいことはいっぱいある。また別途。 生きていれば色んなことがあるけれど、この大きな地震体験は、ちょっとした揺れにビクビクする自分、「また揺れているのではないか」と周りを見渡す自分という存在を自覚させてくれている。また考えてみたい。
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