☆ 大晦日のお昼、大阪府寝屋川市にある両親のお墓を訪ねた。公園墓地の一角にあって、生前ご近所に暮らしていた皆さんと隣り合ったお墓で、死後も町内会を開いているのではないかと思える。この墓地のそばには寝屋川が流れていて、子どもの頃この辺りに蛍がいっぱい飛んでいたし、蜆もとったことがある。
☆ 僕が寝屋川市で暮らしたのは27歳までで、もうこの街を出てから39年が経過している。幼児期、小学生、中学生、高校生、そして大学生、社会人の最初の頃まで、僕はこの街で暮らした。自宅の周りは東側と南側は随分遠くまで水田が続いていた。西側は寝屋川高校の水田で、用務員の方が牛を使って水田を耕していた(ここは後にテニスコートになった)。北側は空き地とその先にはL字型の池があり、僕はこの池で良く魚釣りをした。南側100メートルくらいの所にも長方形の池があり(この池も寝屋川高校の敷地内の池だった)、ここでも本当に良く魚を釣った。釣った魚の多くは自宅の敷地内に作っていた三つの池で飼っていた。 東側の遠くには生駒山、飯盛山の山地が見え、毎日、北から南へ南から北へ、大きな鳥が連なって飛んで行くのが見えた。 6月頃、田植えの済んだ田んぼでは毎日蛙の大合唱が聞こえていた。僕は時々窓を開けて、「やかましい!」と叫ぶと、一瞬シーンとなった。
☆ 僕の育った寝屋川市は田園風景が続く穏やかな街だった。今、自分の育った家は、市役所の水道局の駐車場になっている。その前を通ると、声が出ない(-_-;)。 何とも悲しい(;一_一)。 街のどこにも、あの頃の面影は見られない。 ♪生駒峰は紫匂い、寝屋川の流れ静かに…。 寝屋川市の歌は今も歌われているのだろうか。 思い出の中の故郷は、もうそこには無い。
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