☆ 自分が最初に就職をしたのは1971年の4月1日である。42年前になる。あれから3つ目の仕事に就いていて、一度も無職の期間はなく、現在も66歳ながら正職員として働かせてもらっている。自由になりたいという気持ちを常に抱えながら、でも結局次の仕事が見つからない形では退職はしなかった。こんな風に生きて来られたことは幸運と言えるのかも知れない。
☆ 過日、人を採用する役割を一部果たすことになったが、多くの応募者が有期雇用を繰り返して、2年から3年という短い期間の仕事を繰り返しておられることに暗澹たる気分にさせられた。30代の方々がそのような状況に置かれると、未来への生活設計がとても立てられないのではないかと思う。よほど恵まれた国家資格があって、パートタイムでも十分暮らしていけるのであればそれも一つの生き方かと思うのだが、東京で一人暮らしだと家賃だけでもかなりの出費で、生活がギリギリ状態では気持ちもふさいでしまうのではないだろうか。何か一旗揚げるという目的でもあれば別だが、多くの人が特に才能に恵まれているわけではないから、この状況はどう考えたら良いのだろう。
☆ 一昔前は、終身雇用がこの国の基本的な労働慣行であった。そのことが組織の硬直化を招き、人件費の膨張を招き、海外の企業と競争して国内企業が生き残っていくには不適切な制度だということで、労働者の派遣制度や、有期雇用の制度が導入され、今回はさらに解雇を自由に行えるようにしようという議論が国会で行われているという。社会福祉の世界では、「常勤換算」という考え方が導入され、正規雇用の職員がいなくても、頭数さへそろっていればOKということになって、正規職員(有期でない職員)の比率がどんどん低下している。
☆ 現状は、若者にとって、安定した将来を描けない状況を作り出し、貧富の格差が一層広がる社会を作っていくことになっているのではないだろうか。若い人たちの未来を思うと気の毒で仕方がない。「国民総中流」と言われた時代は本当に良くない時代だったのだろうか? 莫大な資金を溜め込んでいる大企業も多く存在し、人が一生かけても使いきれない資産を築く人たちもいれば、一寸先は闇のような暮らしの人たちもいる。これは全て自己責任なんだろうか。偶然と運・不運が左右する面もとても大きいのではないだろうか。どんどん米国化していくことに不安を感じる。莫大な資産を社会貢献に使う資産家がいる米国風は浸透せず、ただ大金持ちが増えるだけの米国風が浸透する社会はとても怖い社会だと思う。 この状況を前提にして超高齢社会をどの様に乗り越えていけるのだろうか。
☆ 自分の物忘れが笑えない状況になってきている。ヒタヒタと老いが迫ってきているのを感じる。今日は終日会話のない一日だった(;一_一) 生命活動が低迷しているように思う。明日は人間ドックだ。 どこか遠くへ遊びに行きたいと思う。自分自身を活性化させなければ、迫ってくる老いの陰に飲み込まれてしまいそうだ! ガンバ!
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