若い知人のお見舞いに行った。重篤な病状で、肝臓に転移していて手術も難しいということだった。全てが知らされていて、見舞客の私に気を遣って健気に振る舞う彼女を見ていると言葉がない。お母様のお気持ちを思うと、胸が詰まる。自分が60過ぎてもまだこうして生かされていて、30代の彼女が苦しんでいるという構図は、理不尽としか言いようがない。
人生に特別な意味なんかないと思う。たまたま生を受けてこの世に誕生し、たまたま何らかの事情でいのちを終える、そういうはかない存在なんだと思う。いくら偉そうなことを言っても、人間も自然の歯車に組み込まれた部品に過ぎないと思う。一つ一つに意味を考えていたら、こんな不公平なことはないと思う。彼女はそこに存在し、彼女と関わりのあった私や仲間たちがいて、皆々彼女の元気な日がもう一度来ることを必死に願っている。真面目に、お年寄り一人一人の側に寄り添って仕事をしていた、心優しい、本当に細やかな気遣いの出来る彼女がこの様な状況に追い込まれるなんて、人生は運だと思う。
私の知人友人で、私の年齢よりも若くして旅立った人たちのことを思う。Y君、15歳だった。Kさん、25歳くらいだった。Wさん、30歳前後だった。Mさん、56歳だった。皆々真面目で一生懸命生きていた。少なくとも僕のようにいい加減な人たちではなかった。なのに、僕よりも早く、苦しみつつ逝ってしまった。運としか言いようがない。このことに特別な意味を付与する人を僕は信じない。これが“自然”なんだ。きっと。
願わくば、奇跡が起きて欲しい!!!!! 皆で、もう一度温泉旅行が出来る日の来ることを!! 奇跡が起きて欲しい!!! 死の受容へのプロセスという考え方を思い出す。 出来るだけお見舞いに行こうと思う。
コメント