18 怪我
1956年11月19日に僕は怪我をした。体育の授業で「騎馬戦」をしている時だった。「騎馬戦」と言いながら、実際は、「肩車をして落とし合う」という無謀なモノだった。僕は太っていたので、いつも小柄なI君を肩車して攻めていく役割だった。
その日は、いつも「馬」ばかりやっていた僕が、I君に、「たまには上に乗せてくれ」と頼んで、彼の肩に乗せてもらった。小柄なI君はとても耐えられず、何組もの肩車チームがもみ合う中で崩れて、僕は多くの同級生の下敷きになった。そして片方の腕が、開放性複雑骨折という傷を負う結果となった。後から解ったことだけれど、骨が折れて3個所で外に露出するという、かなりな重症だった。
もう11月の半ばを過ぎていたので、長袖の服を着ていて、立ち上がったら片腕がブラブラとした状態で、みるみる出血してきた。痛みはあまりわからず、「折れた!」と叫んだように思う。すぐに保健室へ行き、止血の処置と、三角巾で身体に腕を固定する処置をされて、市の中心地の方にある医院へ連れて行かれた。
当時の僕の学校の校舎は、櫛形に建物が並んでいて、担任の自転車に乗せられて、校舎の間を通って校門に向かう時、両側の校舎の窓から子ども達がいっぱい顔を出して僕の方を見ていたのを鮮明に思い出す。
担任の自転車の荷台に揺られて(あの頃救急車は無かったのだろうか? 或いは学校に車も無かったのだろうか?)駅前の医院に行ったが、そこではとても手に負えないということになり、タクシーを呼んで、大都市の病院へ行くことになった。タクシーがやって来たが、僕の出血の様子を見て座席が汚れると困るという話しになり、どこからかビニールシートが持ってこられて(その間、ずっと立って待っていた!)、それを座席に敷いてから車に乗った。車の中で、担任教諭が、以前骨折した子どもが入院したことがあり、「きちんと治療してくれる病院だ」と、繰り返し僕の母に話していたのを思い出す。
病院に着いたが、どう見ても僕には古色蒼然とした雰囲気の「オンボロ病院」の様に思われた。その日の夜から僕は高熱を出して意識が無くなり、ほとんど何も覚えていない。ここで、翌年の2月はじめまで入院することになった。
コメント