消灯
前にも書いたけれど、入院していた小児科病棟の消灯時間は午後7時だった。いくら小児科病棟だからと言ってもこれはどう考えても早すぎた。僕が入院したのは冬場だったからもう日は落ちているとはいうものの、他の病棟はまだ明々と灯りが点いているので、とても眠れる雰囲気ではなかった。最初は仕方が無くてベッドに横になって天井を見上げていたが、他の病棟の灯りに照らされて、大きな樹木の影が天井に映り、風に揺られて、影も揺れていたのが妙に印象に残っている。(夏場は日没よりも早い消灯で、さらに眠れなかった! 夏は消灯時間が遅かったかどうか忘れてしまった。)
天井の影を見ていて、何だかとても悲しい気分にさせられたものだ。ギャングエイジと呼ばれる年代だったけれども、小さな頭で色んなことを考えた日々だったと思う。
だんだん慣れてきて、動けるようになって、そして仲間が出来てからは、一部にあった病室の外廊下を伝って病室を渡り歩き、コソコソと様々な遊びや「探検」をしたように思う。移動できる空間はそれほど広くはなかったけれど、結構細部まで熟知するようになって、看護婦さんの廻ってくる時間帯にはベッドにもぐりこんでいた。
また、気の合う看護婦さんの夜勤の時には「眠れない」と訴えて、良く看護婦詰め所に出かけた。何を話したかはあまり覚えていないけれど、忙しく働く看護婦さんの仕事と、付き添い付で入院している人たちの重い症状のことを垣間見たし、看護婦さん同士の会話に聞き耳をたてて、その仕事の大変さを思った。
良く母が、看護婦さんや医師の世界は封建的だと言っていたが、そのことを実感することも多かった。帽子の線や、バッジで「階級」が決まっていて、高等看護学校の実習生や准看と呼ばれる人たちの存在もその時にははっきりと意識していた。准看の人たちは年齢が上でもあまり発言をせずに、控えめな人たちが多かったように思う。
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