最初に入院していた病院では、僕の病状がかなり重篤でもあったからか、あるいは授業中の事故でもあったからか、学校関係者のお見舞いがけっこうあった。PTAの人と教頭先生がベッドをはさんで口論をして、母からたしなめられるということもあった。今から思うと学校の責任問題が議論されていたのだと思う。その中で、教頭先生が、どういう文脈で言われたのか思い出せないが、「売り言葉に買い言葉」的発言だったのかも知れないが、「教師というのは、浮き草稼業ですからね!」と発言され、それをめぐってもめる場面があった。小学生の僕には「浮き草稼業」という言葉の意味がわからず、皆が帰られてからその言葉の意味を母に尋ねたことを鮮明に覚えている。尋ねたことは鮮明に覚えているけれど、母がどう応えてくれたのかは鮮明には覚えていない。「責任は取れない」ということを言いたかったのではないかという趣旨の説明をしてくれたように思う。
当時職人だった父は国民健康保険に加入していたけれど、これが使えるエリアが限定されていて、(これは本当にそうだろうか? 調べてみる必要がありそうだ)僕が入院していた病院の地域では使えずに、10日毎に支払うお金に窮して、後で知ったことだけれど、とても経済的に追い詰められた状態になっていた。結局学校からは何の「保障」もなく、今では考えられないけれど、うやむやの内に時間が流れてしまった。両親は借金の返済に随分苦労をしたことは後年耳にしたことだった。両親や家族に心配と苦労をかけたことを本当に申し訳なく思っている。
今年、孫が約1ヶ月入院治療を受けたことは先に書いたが、2週間近くの集中治療室での治療と、その後の個室での入院で、費用請求がどれくらいになるか心配していたが、1万円ちょっとの費用で済んだらしく、乳児医療についての制度を知らなかった私はホッとさせられた。これが、あの時代だったら、また米国であったら、たちまち借金を背負い込むことになっていたのではないだろうか。
僕の子どもの頃は、子どもがあふれていて、一人二人のことをかまってなんかいられない、一人一人の相対的価値も低かっただろうし、まだまだ途上国でもあって、国全体も貧しい時代だったのだと思う。
それにしても、授業で、二人一組で肩車をさせて、互いに落とし合いをさせるというやり方はあまりにもハイリスクで、危険きわまりないゲームだったのではないだろうか。
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