鹿鳴館
僕が筑豊・田川に住んでいたのは、今からもう20年以上も前のことになるけれど、国道201号線沿いに、田川から香春岳の方へ向かう途中に鹿鳴館という小さな喫茶店があった。確か夏吉という地名だったと思う。4~5人が座れるカウンター席と、窓側に4~5脚のテーブル席があった。いつもお兄さんが注文を聞いてから丁寧にコーヒーを入れてくれた。結構気に入っていて、一時期はほとんど毎朝のように出掛けて、モーニングサービスを注文していた。近くにボタ山が残っていて、「香春岳は異様な山である」という、五木寛之の『青春の門 筑豊編』の舞台そのものの風景があった。山崎ハコの♪「織江の唄」という暗いくらい歌をつい思い出してしまう。(そう言えば香春岳の麓に神宮院というお猿の居る神社?があった。)
ある朝、当時久米宏のニュースステーションのキャスターをしていた小宮悦子さんが鹿鳴館にいてビックリした。番組のスタッフと思われる人が、10円玉しか使えない赤電話で、さかんに取材依頼の電話をしていて、東京を出る前に取材先とかを確定していないのかとビックリさせられた。スタッフはあちこち電話を架けていたが(当時は携帯電話ではなかった)小宮さんは黙って一人でコーヒーを飲んでいた。「女性のキャスター一人だけです」というスタッフの電話口での言葉が妙に耳に残っている。
その夜のニュースステーションで、小宮さんは、金田町のセメント工場から中継をしていた。朝は、この交渉をしていたんだと納得した。筑豊で暮らした7年間に僕は日本地図のイメージが変わった。東京や大阪では実感できないイメージ、この事は前に書いたかも知れないけれど、離島と言われる島や、繁栄から置いて行かれた街に暮らすと、日本地図のイメージが確かに異なってくるのだ。この事は別に考えてみたい。
喫茶店の話しから逸れてしまった。そうだ、コーヒーを入れてくれていたお兄さんは、阪神タイガースのファンだった。1985年にタイガースが優勝したときに、僕は大阪で優勝記念の酒樽のミニチュアを買って彼にあげたことを思い出す。とっても喜んでくれた。鹿鳴館は今も営業しているだろうか?
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