若い人達と、石井亮一の生涯について調べたモノを読んでみた。この頃はインターネットのおかげでどの様な情報も瞬時に手に入る。当たり前だけれど、自分の学生時代とは比べものにならない。
何も制度的な保障のない時代に、「これで良いのか!」という義憤をエネルギーにして一つの事業を立ち上げ、その熱に感じる人たちの応援があって事業が軌道に乗っていくプロセスには、「まいった!」というほかない。財界の代表の一人でもある渋沢栄一が「石井さんには経営のことに頭を悩まさせず、専門の教育のことに邁進してもらいたい」という趣旨の発言をして財団の理事長を引き受け、全面的な支援をする様子には、単に私腹を肥やすだけの、金儲けだけの資本家とは全く異なる姿をそこに見ることが出来る。石井十次を全面支援した大原孫三郎と、石井亮一を全面支援したこの渋沢栄一、この様な財界人は今もどこかにいるのだろうか。
一人の青年の信仰を土台にして、あまりにも理不尽な出来事への義憤から出発した知的障害児の教育への取り組みは、その意気に惚れ込んだ人たちの支援があって開花するのだけれど、この一連の出来事と実践の歴史は本当にドラマを見るような感動さえ覚える。
現在の民間社会福祉はその経営基盤のほとんどを公的資金に頼っている。自分の関わる法人も無認可時代の経営に大変だった時代から法人化によって一定の安定を得てしまうと(その「安定」も法律の改定によってゆらいではいるが…)、公的事業の色彩が強くなり、安定経営に走りがちだけれども、本来の社会福祉事業はそうではなくて、ニーズのあるところにどの様に応えていくかを常に考え、開拓的な事業を試行錯誤することが本来の使命なんだろうと思う。無認可の時代に持っていた運動体的側面を忘れたら、民間事業としての看板を下ろさねばならないと思う。自分の社会福祉法人を応援して下さる人たちも沢山おられて、その応援にも応えていかねばならないと思う。
それにしても、働いてくれている人たちに、石井亮一の時代のように犠牲を求めることは出来ない。この仕事に誇りを持って邁進し、専門性をいっそう身に付けて前進してもらうためにも、もう少し良い待遇で雇用できればと思うのだが…。
コメント