事件当時少年だった被告に死刑の判決が下された。最高裁からの差し戻し審であり、広島高裁での審議の結果だった。最高裁から差し戻された時点である程度予想されていたことではあるが、多くの議論がなされている。
日本での多くの調査では、死刑制度そのものに賛成する意見は大体80%以上であり、この数字と、あまりに凶悪な事件の内容からすると、多くの人々もこの判決を支持するのだろうと思う。でも僕の心境はそう簡単ではない。このところずっとこの事件のことを考えてしまう。いつか、以下の論点でこの事件のことを整理してみようと思う。
死刑が妥当であるという意見の形成は非常に単純に到達することができる。これを乗り越えるには多くの思考が必要であり、簡単ではないと思う。
でも、多くの国で死刑制度が廃止され、あるいは執行が停止されていて、それでも凶悪事件が増えているというわけではない。死刑制度そのものには、一般に言われるほどの抑止力はなさそうである。だとすると、死刑制度存続の主たる理由は、被害者感情を受け止めることと、死刑の代わりに導入が検討されている終身刑等が創設されれば、国家としての財政負担が増すという経済的事情が中心だろうか。
検討したいこと
1.死刑制度そのものの存続の可否について
2.死刑を含む刑罰制度全体の妥当性について
3.犯罪被害者救済制度の現状と課題について
…経済的な側面のみではなく、グリーフワークの必要性について
4.余りも残虐な事件を引き起こす病理的人格が形成される要因について
5.上記病理的人格形成を予防する取り組みについて
6.上記病理的人格者の治療・リハビリテーションについて
7.修復的司法の可能性について (坂上香『癒しと和解への道 犯罪被害者と死刑囚の家族たち』岩波書店1999年を読む)
8.裁判員制度と死刑制度について
等々
(昨日?また愛知県で、高一の女子生徒が無惨な形で惨殺された。どうしてこの様なことが出来るのか。そのあまりにも非人間的な所業を知るにつけても、殺害された少女の無念さと、そのご遺族のやりきれない気持ちを思うにつけても、このことについての自分の気持ちを整理しておこうと思う。)
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