僕は、ユダヤの人々と言葉を交わしたことが2度ある。
一度は、米国のワシントン州で、ユダヤ系の人たちの暮らす豪華な老人ホームを見学した時。おばあさん達の集まりに出て、自己紹介と、何か歌でも歌ってほしいと頼まれ、自分の知っている唯一のイスラエルの歌かと思い、「友よまた合う日まで、シャローム、シャローム。恵みの主、守りたもう。シャローム、シャローム」という簡単な歌を歌った。おばあさん達はとても喜んでくれて「どうして日本人がこの歌を!!!」と驚かれた。歌を一つ知っていることはとっても意味があると思わせられた。 もう一度は、ニュージーランドのオタゴ半島でペンギンツアーに参加した時。僕はイスラエル人の一家5人と僕という6人のグループで行動した。この一家の息子夫婦?らしきカップルがずっとくっついた状態で参加していて、とても不愉快な気分にさせられた。
イスラエルの人たちは、ナチスによってあれだけ辛い体験を強いられたけれども、パレスチナの人たちに同じような無理難題を強いているように思えて仕方がない。塀で囲むという手法は、狭いところへ閉じ込めるという手法は、少なくともユダヤ人はとらないだろうと思っていたのに、パレスチナの人々を高い塀で囲み、人々を分断する政策を採用しているのには、本当に参ってしまう。
やっぱり「人間には未来なんてない」と思わせられる!
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