子どもの頃、僕は、川や池で暮らす多くの魚や貝を食べて大きくなった。大阪の北河内地方の水田に囲まれた家で育ち、自宅の畑のそばにも小さな水路が流れていたし、自宅から100メートルくらい南側に、幅が1~2㍍の川幅の水路が大きな(子どもの頃は大きく思えた。現在は埋め立てられて跡形もない)池に流れ込んでいて、この池と水路で毎日のように魚を捕った。ミミズやアカムシと呼んでいた虫で主にフナを釣ったし、蛙でタイワンドジョウと呼んでいたライギョを釣った。ナマズも時々釣れた。ライギョの子どもを網で大量にすくって捕ったが、自宅の池に入れておくと共食いをして、みるみる減ってしまって驚いたりした。こういう魚類を普通に食べた。
モロコとドジョウ、タニシ、アメリカザリガニ等を食べた。ザリガニは大雨が降った翌日、バケツを持って水路を遡り、見る間にバケツ一杯になるほど捕れた。これを井戸水にしばらくつけておいて、大きな鍋でお湯を沸かしてこれに一気に入れてゆで上げて、赤くなったしっぽを沢山食べた。たにしは醤油で煮込んで針でほじくり返して食べた。ドジョウは別の溝に沢山いて、これはそうたびたびではなかったけれど食べたことがある。モロコは鰹の削り節をフライパンであぶって、びんずけと言って、硝子だったか、プラスティックだったか、透明の容器で、中に魚が入ると簡単に出られないというものに、このあぶった鰹の削り節を入れて、目印を付けて池に沈めておくと面白いようにモロコが入ってくれて、ワカサギの様な体型の魚だったけれど、本当によく捕れた。
僕はこの様に自然の恩恵を受けて育ったのだと思う。昭和30年前後の大阪の郊外、北河内地方はまだこの様にのどかだった。そう言えば、蛍も沢山いたし、蛙の大合唱も夏の風物詩だった。
コメント