今日は職場で三度もシャツを着替えた(~_~;)。朝から汗みずくで、本当に湿度の高さに死にそうな気分にさせられる。
話しは変わるが、先日の夕刊コラムに、秋田明大さんが紹介されていた。
僕らの世代の人間には忘れられない名前の1人だと思う。彼の「その後」の約40年の人生が率直に語られているように思えて…、「あの頃」をつい最近まで「引きずって」生きてこられていたことに、…上手く表現出来ないけれど…、ある種の後ろめたさを感じてしまう。
僕自身はあの頃の時代状況に誠実に向き合っていたか…、と問われれば、「多分自分なりに」とは言えるけれど、それ以上のものではない。国全体の多くの若者に影響を与えた秋田明大や、山本義隆という人達とおよそ比べようもない。
自分の発言や行動に誠実に拘って生きてこられたのであろう秋田明大さんの生き方に、今また打ちのめされた様な気分にさせられている自分がいることを認めざるを得ない!
もう時間は戻ってはくれない。あの頃も蒸し暑かった京都の街で、お金はなかったけれど時間はあった!
夏は障害児の療育キャンプに入れ込んでいた。祇園祭の「後の祭り」(7月24日?)が三条通りの狭い道を通り過ぎるのを待って、買い出しに出かけた場面を突然思い出す\(^_^)(^_^)/
秋田明大さんのように、誠実に引きずって生きることもせず、「何事もなかったかのように」平然と帽子を被り直して生きてきたのかも知れない。少なくとも第三者にはそう見えるだろう。
後ろめたさの根っ子も、この程度の浅はかなレベルだと思う。
蒸し暑さに首うなだれつつ、6月を行きます。
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