昨日は皆既日食が見られるというので、日本中が沸き返っていたようだけれど、気の毒なことだけれど結局多くの場所でそれを目撃することが出来なかったらしい。ニュースで何度も取り上げられていた島では風雨が強くなって体育館などに避難したという。ただただお気の毒としか言いようがない。僕は前にも書いたけれど、昭和33年に金環食というのを目撃しているので、是非見たいという気持ちでもなく、日常の忙しさに取り紛れて時間が過ぎてしまった。
ところで、このところ、太陽の黒点が少なくなって、あまり良い兆候ではないらしいのだけれど、考えてみれば、僕ら人類は太陽と地球の微妙なバランスの上に生存が許されている生き物だと思う。少しでも距離や角度に変化が起きればたちまち氷の惑星になったり、灼熱の惑星になったりして、人類はじめ多くの生物は死滅してしまうそうだ。
微妙な偶然のバランスの上に僕らの人生は成り立っている。こういうバランスの恒星と惑星はこの無限の広がりを持つ宇宙にはどれくらい存在するのか知らないけれど、きっと一つや二つは存在していて、きっと何らかの生物が生息しているのだろうと思う。考えてみれば自分の存在なんて本当にちっぽけな偶然の産物だと思う。人生に意味はあるかと言われれば、客観的な意味などなくて、たまたま与えられた何年かの時間を精一杯生きることだけのように思う。
ある若者に、「人生には意味はあるし、偶然なんかではない」「誰かが障がい者になる時も、それにも必ず意味があるんだ」と諭された。まあ、そう思える人は思えば良い。僕にはそんな風には考えられない。今自分がここにいるのも偶然だし、自分が身体障がい者になったのも単なる不注意の結果であって、特に意味はない。一つ一つのことに意味があるかどうかは、そう考えることが出来るかどうかであって、その様に考えて心が穏やかになるのであれば、それはそれで良いことで、他者に「こうだ」と自分の意見を押し付けるものでもない。
まあ、少なくとも宇宙の星々の微妙なバランスの上に僕の命は成り立っていて、宇宙の時間からすれば僕の人生なんてほんの一瞬のことであるということだけは言えると思う。
連日、仕事がオーバーフローしていると言うのに、皆既日食という日に自分の命の小ささとはかなさを思う。
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