昨夜から今朝にかけて久しぶりに台風が通過した。11階にある自分の家は、多摩川のすぐ近くでもあるので日頃から風が強くて、ベランダで草花を育てるのは結構大変なのだけれど、昨晩から今日の午前中も、室内に入れることが出来る鉢植えは全部取り込んで台風に備えた。幸い大きな被害もなく通り過ぎていったようだ。被害のあった地域の人には申し訳ないが…。
台風といえば思い出すのが第二室戸台風という猛烈な風台風のことだ。当時僕は中学3年生だったけれど、朝から夕方まで終日強風が吹き荒れて、自分の家が倒壊するのではないかという恐怖を覚えたことを思い出す。当時、南側と東側が水田で、西側に学校があり、北側は道路と建物が少しという、ほとんど田んぼの中の一軒家状態の家に住んでいた。いきなり強風のために畳が浮き上がり(南側の縁の下から入った風によって畳が持ち上げられた!)、家具などを移動させて、畳の上に重しのように置いたことから始まり、南側の雨戸が風でめくりあがり、縁側の上に欄間のような隙間がある建物の構造だったので、そこが風でめくれ上がるのを防ぐべく、ひもを通して家族総出でじっと握っていたりしたが、ミシミシと家が揺れて生きた心地がしなかった。西側の学校の倉庫がスローモーションの映画を見るように捻れて倒れていくのが窓の隙間から見えたし、屋根瓦が木の葉のように飛んで行くのも見えた。自宅の瓦も屋根からはがされて飛んでいくのがその音でよくわかり、家が壊れるのは時間の問題のように思われ、早く避難しなかったことを悔いた。台風がもう日本海側の敦賀辺りへ抜けたというラジオのニュースを聞きながらまだ風と格闘していた。
夕方大分風がおさまってから、西南側にあった風呂場が半分壊れていたことや、鶏舎が壊れて、沢山飼っていた鶏がほとんどいなかったことや、残った鶏の羽根がチリチリになっていたことや、玄関前にあった大きな柳の木も根こそぎ倒れていて、道路には電線が垂れ下がり、電柱も傾き、とても歩ける状況になかったこと等々がわかり、その風のすさまじさを改めて実感した。近所に住んでいたY君(翌年彼は亡くなった!)と2人で近所の被害状況を探検して回った。その日の夕焼けがものすごく綺麗で、全天があかね色に染まっていた。
翌日学校へ行くと、窓ガラスがほとんど割れていて、校庭は瓦礫の山になっていた。木造2階建ての校舎は、天井がかまぼこ天井のように湾曲していて、自転車置き場はほとんど残骸の山だったことだけ妙に覚えている。皆で校庭の瓦礫を片付けるのを手伝った。
水道も使えず、停電もしていたので、夜は蝋燭の火で何日かを過ごした。何日か後にまだ停電が続いている時に打ち上げ花火が上げられて、あれは何だったのかと今になって思う。 台風といえばこの第二室戸台風と、自分がまだ4歳か5歳頃のジェーン台風というのを思い出す。自然の力と人間の小ささを実感させられる。そういえば、相米慎二監督の『台風クラブ』という映画がありましたね。
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