コペンハーゲンで行われていた地球温暖化を防ぐための国連の話し合いが、結局何も決められずに終了した。自国の利益を優先させてあれこれ議論をしている時ではないだろうと思いつつ、複雑な思いにかられる。国家という枠組みを前提に物事を決めようとする限り、この地球を守ることはできないように思う。有限の地球を「使い尽くして」いつか人類は滅びの時を迎えるのだと思う。自分もその中で先進国の一員として一定の責任を負っていることを認めざるを得ない。
冬でも暖かい部屋で、夏でも涼しい部屋で、通勤に車を使い、階段ではなくエレベーターを使い、…生活の一つ一つが、子どもの頃の「シンプルな生活」とは全く異なる暮らしぶりである。ミンダナオ島のニューバターンという村でホームステイをさせてもらった家の奥さんが、自分たちの暮らしを「シンプルライフ」であると何度も口にしておられたのを思い出す。僕自身の子どもの頃の暮らしも正にシンプルライフだった。中学1年生になるまでテレビがなかった。小学4年生の時まで洗濯機がなかった。電気冷蔵庫はいつ頃我が家に登場したのか覚えていないが、ずっと井戸で果物や野菜を冷やしていた。あれから数十年が経って、現在の快適な暮らしである。
「公害」を撒き散らしたあの昭和30年代40年代の悪夢(水俣湾の有機水銀汚染、イタイイタイ病、四日市大気汚染、全国各地での地盤沈下…、とんでもない経済活動優先主義が多くの自国民を傷つけた歴史と、これの原因を認めようとさえせずに被害を拡大し続けた政治家と企業家の罪=悪夢)から学んだことを、我が国は積極的に途上国へ伝え、同じ被害者をつくらないために様々な貢献をするという役割を積極的に果たしてほしいと思う。
それにしても、2国で世界の二酸化炭素の4割を排出しているという米国と中国が、それに対する(地球に対する)罪の意識など全く感じられない「不遜な態度」(のように見えた!(+_+))で会議に臨み、互いに「相手次第だ」と言い続ける姿は、人類の未来に対する希望的観測を根本から崩してしまう光景だった。
先進国は、ここまで温暖化を進行させたことに大きな責任のあることを率直に認め、温暖化防止のための技術支援や資金的協力を積極的に行う姿勢を示し、一方途上国は(大金持ちがあまりにも多くいる中国が途上国か???!!!)温暖化防止のための技術支援や資金的協力を率直に求めるという姿勢で、意味のある話し合いが行われるべきであったと思うけれども、何ともみじめな結果になってしまった。人間の知恵はこの程度なのか! 途上国を代表するような中国は、どうしてあのように「偉そうな」態度(のように見えたのは自分の偏見かも知れないが…)に終始するのか、これも自分の様な凡人にはわからないことである。そして、みんなで、滅びへの道を一歩ずつ歩んで行く。
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