東野圭吾『赤い指』を読んで
先日仕事で、青森県八戸市に行った。とっても寒い二泊三日だった。ホテルに缶詰めになって仕事をしたが、夜に街に出て、地元の人たちと交流した。道路がカチンカチンに凍っていて、転倒しないように慎重に歩かなければならなかった。雪が積もった所は、キュッキュッと音がして、北国の真冬日を実感した。
この地域で福祉を支える人たちの集まりに熱気を感じることが出来た。夜の懇親会では“えんぶり”という郷土芸能?の実演を40分間も観ることが出来て、ビックリさせられた。高齢者から子ども達まで、30人弱の人たちによる不思議な舞?とお囃子、口上に、釘づけになった!(^^)!
さて、この八戸往復の新幹線の中で、人に勧められて東野圭吾という作家の推理小説を初めて読んだ。推理小説というジャンル自体あまり読まないので、自分の高齢化した頭脳でついて行けるのか心配だったが読み終えることが出来た。
しかしこの小説の前半部分は、とても読み進めること自体に気持ちの上で困難を感じた。私に言わせれば「動物的な」妻と、その妻をコントロールできない主人公の夫、この二人に苛立ちを覚え、小説の中に入って行って意見をしたくなる衝動に駆られて、本当にイライラさせられた。
遠山の金さんや水戸黄門をテレビで見ていても感じることだけれど、無造作に無残に善良な人たちが殺されていった後に、主人公が登場し、犯人逮捕で「めでたしめでたし」で終わる構図に、やりきれない気分にさせられる。「もっと早く出てこいよ!」「殺される前に出てこいよ!」といつも突っ込みを入れたくなる。この小説でも何の罪もない女の子が殺されるという場面設定自体にとても不快な気分にさせられた。その上で、加賀という敏腕刑事が登場して事件を解明してくプロセスと、犯人側一家の「何とか隠し通そう」とする企みと、それが無理となった段階で「“認知症”の母親を犯人に仕立て上げる」という浅知恵も暴露されていって、一家が追い詰められていく様子が描かれている。そして真犯人の思春期の息子は最後まで反省することも無く、逮捕されていく。
一方で、加賀刑事と、死の床にあるその父親との葛藤のお話が伏線のように描かれていて、また加賀の従弟にあたる新米刑事が加賀とペアを組みながら学んでいくプロセスや、加賀と加賀の父親(新米刑事から見れば伯父)との関係に疑問を感じつつ、加賀独特の「かっこ良い配慮」に最後に気付くというお話も並行して描かれている。
読後感は「う~ん」!
「推理小説のその後」がとても気になる。あの真犯人の少年の審判はどうなるか? その更生にどの様な取組みがなされ、その更生の可能性はどの程度期待できるのか。この夫婦の罪はどの様に問わるのか。またこの一家の「再統合」は可能なのか…。そして殺された女の子の遺族へのグリーフワークはどの様になされるのか…。
考えてみれば、いわゆる刑事ドラマや推理小説の多くは、犯人逮捕と謎解きで終わることが通例である。更生保護の取り組みは、この小説の終わるところかスタートする。ゴールの見え難い、気の長い取組みである。この更生保護はほとんど小説やドラマのテーマとしては取り上げられることがないように思う。
更生保護とグリーフワーク、そして犯罪予防にもっとお金をかけ、専門的な関わりの出来る人を配置してもらいたいと切に願う。
今頃になって風邪を引いてしまった(*_*)