「東北関東大震災」から5日目になった。昨晩も静岡県富士宮市で深度6強の地震があり、我が家もかなり揺れて、小心者の僕は部屋の中をウロウロして、あちこちに不要なメールを送って、迷惑を掛ける始末。 11階建てのアパートに住んでいるのだが、建物全体にギシギシと普通ではない音がして、座っているよりも立っている方が揺れを直接感じないように思われて、ついついウロウロとしてしまう。 「その時」どこにいるかはただただ運命であって、この国で暮らすからにはその都度覚悟を決めるしかないと思うのだが、達観できていない僕は本当に情けないくらいウロウロしてしまう。 5日前の「あの時」は相談者と一緒だったので、精一杯虚勢をはっていたが、一人になるとただただ震えるしかない小心者だと思う。
以前もどこかに書いたけれど、もう随分前に雲仙普賢岳の溶岩ドームが崩壊して火砕流が発生し、取材陣を中心に40人以上の方がこれに呑み込まれて亡くなるという事件が起きた。この時、その取材陣達のおかげで僕たちはテレビでライブ放送を見ることが出来たのだが、その時感じたことは「地球の距離感と僕たち人間の距離感は全く異なる」ということだった。 あの時、「これだけ離れていれば安全だろう」と思われる距離で取材陣はカメラをセットしていただろうし、テレビの画面でも普賢岳は遠くにあるものとして観ていた。ところが、溶岩ドームが崩壊し火砕流が発生すると、この距離を一気に「人間の距離感や想像力をはるかに超える速さで」火砕流が駆け下り、逃げ切れなくて多くの犠牲者が出た。 この時、上記のように、僕たち人間は自分の距離感で暮らしているけれど、地球は地球の距離感で活動を続けており、僕らはこれに従属しているのだということを再確認させられた。 今回の津波も同じことが言えると思う。 人間の感覚で津波をとらえることは危険きわまりないことだとあらためて思わせられた。
僕は昔「原発にとって地元とは何か」というつぶやきをどこかに書いたことがある。 原発を建設する際に地元の了解を得ようと説明会が開かれるが、これは原発建設予定地の周辺の自治体に住む人達を対象に行われており、ここで言う「地元」とは、「人間の距離感で考えられている地元」であって、ここに大きな間違いの一つがあると思う。 「原発は地球の距離感で管理する必要がある構造物」であって、説明会は日本人に向けて、あるいは地球規模で行うべきものだろうと僕には思えて仕方がない。 今回のような原発事故に遭遇すると、20キロとか30キロという距離が問題になっているが、結局放射性物質は大気中に拡散され、偏西風に乗って世界にまき散らされていく。さらに放射性物質の中には半減期が、たとえば原発で発生するというプロトニウムの中には半減期が24000年というものもあるという。 この時間をどうやって平均寿命80年の僕たち人間が管理出来るのだろうかと思ってしまう。 素人の感覚だけれども、後世の人達に多大な負の遺産として放射性廃棄物を残すことによって成り立つ原発が「クリーンエネルギー」として宣伝されていることに背筋が寒くなる。
原発に関して言えば、すでに沢山議論されてきているけれど、今一番心配なのは、原子炉のすぐそばで対策に取り組んでいる人達のことである。 一般住民は避難できるけれども、何とか平常の状態に戻そうとする取り組みを誰がするのか、どうするのか、その人達の安全はどう守られるのか。 チェルノブイリの時は決死隊が組織されて取り組まれたらしいが、あれはソ連という国家体制だから出来たことであって、我が国のような国家体制ではとても無理なことで、でも誰かがやらねばならず、時間を区切って交替して行っているのだろうと思うけれども、本当に心配でならない。クリーンエネルギーだと言っている人達にやってもらいたいと思う。 つまり原発は地球の距離感で管理運営されるべきモノで、人間の距離と時間で評論すべきモノではないと思う。 触れてはいけない「パンドラの箱」を僕たちは開いてしまったのではないかと思う。
原発の建設に使ったエネルギーと資金を、もっともっと自然エネルギーの開発と実用化に向けて注ぎ込むべきではないのかと思う。 僕たち人間の感覚は「地球の論理」に従属しているのであって、これを支配すると考えてはならないと思う。 それにしても東電の対応は…、想定マニュアルが決定的に不足していたということなのだろうと思う。 この会社に原発を管理させていることに、ただただうそ寒いモノを感じる。
さらに一言、僕は政権交代に期待していた一人だけれど、民主党の政策で最も許容できないのが、「原発を諸外国に売り込む」ことに積極的であるという点だった。東南アジアの国々にこれを売り込もうと積極的に取り組んできていて、政府主導で行うということに、本当に止めて欲しいと思っていた。 この日本という小さな国に過剰と思われるほど原発があって、これをさらにアジアの国々に広げようとすることに怖さを感じる。 これを「安全」「クリーン」というキーワードを使って売り込んでいるとしたら、笑えない。怖いと思う。