☆ 我が家のベランダから空を見上げると満月が煌々と輝いている。今夜は仲秋の名月であるらしい。我が家は11階にあって、南側100メートルくらいの距離に多摩川が流れている。我が家のアパートと多摩川の間には7階建てのアパートと私鉄の駅があって、そのアパートの屋根越しに多摩川が見える。右の方から左の方へ、普段は河川敷の広さの何分の一かの幅でしかない川が流れている。右の方向のずっと奥に、晴れた日には富士山が見える。左の方のずっと奥に、晴れた日には羽田空港から離発着する飛行機の光が見える。このベランダから見える広がりのある景色を結構気に入っている。
☆ 3月11日から6ヶ月が経ち、9月11日から10年が経ったと盛んに報道されている。6ヶ月という時間は、渦中にある人達にとってはどの様な時間だったろうか。まだまだ復興への歩みは遠く、特に原発をめぐるやりきれない状況はこれから先何年続くのか、見通しのきかない状況に立ち至っている。たまたま住んでいた場所が、働いていた場所が、人々の運命を左右するという現実に、理不尽さを痛感させられる。津波に流されながら生き延びた人達のドキュメントをテレビで見て、本当に「よくぞ生き延びられました!」「本当に頑張りましたね!」「これからの人生、どうぞ大切に有意義に過ごして下さいね!」等々と声を掛けたくなる。 一方、その凄まじい状況の中で生き延びられなかった人達のことを想像するだけで心がふさいでしまう。 また、生き延びた人達の生活の傷と、心の傷の深さを思う。
☆ 9.11に代表されるテロは、激しい憎しみの、憎悪の気持ちの表現方法の一つだと思う。 そこまで「追い詰められた」と思わせた結果として9.11はあるのだと思う。追い詰めたのはブッシュ政権だったのではないかと思えてならない。何もないところで9.11が起きたのではない。「結果としての9.11」であることを前提に、和解に向けた気の長い仲介の取り組みが必要だと思う。 そうでないと亡くなった方々の犠牲が無駄になってしまう。 ビンラディンを司法手続きなしに殺してしまうという米国流のやり方が通ってしまうという現実は、人間社会のまだまだ未成熟性を象徴しているようで、ゾッとさせられる。 力で制圧して押さえ込むことで解決すると本当に思っているのだろうか???
☆ 仲秋の名月を見ながら、色んなことを考え込む2011年の秋口である。