先日、群馬県内にお住まいのMさんにお会いすべく、高崎市へ出かけた。榛名山の麓にある高齢者関係施設で暮らしておられる、90歳のMさんは、ガンのために余命は残りわずかと宣告され、この際、ご自身の著書を含む多くの書籍を僕の関係する図書館に寄贈したいと申し出られ、それを戴きに行ったのである。職員の方からは「あまり長くならないようにして下さい」と言われたが、Mさんの熱いお話を聴いていると直ぐに1時間が過ぎてしまった。大学を出て最初に就職された職場で見聞された理不尽な事象への憤りが、その後の人生に大きく根を張り、生涯を通してこだわり続けて生きてこられたのだと僕には思わせられた。
ガンのために肉体は厳しい状況に直面しておられるのだろうが、意識レベルは非常に鮮明で、言われることの一つ一つがズッシリと心に残るお話であった。全くの初対面でありながら、高崎から約3時間の帰路、いただいた書籍の重さだけではない「ズッシリ感」を胸に車を運転した。
2011年は、この国全体が喪に服す年になった。前に向かえない多くの人達の存在を忘れてはならないと思う。理不尽な形で人生を突然終わらせられた人達やその遺族の皆さんのこと、生きていくための職を奪われ、未だ再起の手立ての見つからない人達のこと、静かに年の瀬を過ごしたいと思う。
と、言いつつ、実はまた年賀状を全く書いていない。これは僕の怠慢である。年が明けてから、寒中見舞いを出すことでお許しを願おうと思う。今年もグズグズの1年だった。