☆ 家族が餓死か何かで亡くなり、随分時間が経過して発見される事件が次々と報道されている。この種の事件は、実際に数が多くなっているのか、報道の量が多くなっているだけなのか、定かではないが、気になる事件群である。様々な公私のセーフティーネットが張り巡らされているはずだけれど、そこをすり抜けて、あるいは全くネットに引っ掛かることもなく、無残な人生の最期を迎えておられる家族がいる。
☆ これまで孤独死とか弧族とか言われたけれど、家族でありながら発見された時には全員がすでに亡くなっているという悲劇はどう考えたら良いのだろう。病気や障害がその背景に隠れているようであり、ある種の「嗅覚」が働けば最後の防波堤になり得たのではないかと思えて仕方がない。公務員としての職員にそれを期待するのは無理なのだろうか。やはり、公私のどちらの組織に所属していても良いが、所属する職場や組織の求める最低限の役割を超えた、その職業人独自の倫理観、知識、嗅覚、技術をもった専門職業人の存在が不可欠なのだと思えて仕方がない。「アリバイ証明のような仕事の仕方」ではなく、「何か気になることを見過ごさずに究明する姿勢を持った専門職業人」の存在と、その働き方を当然とする専門職業人集団が、お役所にも、地域の様々な福祉関係組織にも存在することがセーフティーネットを実行化するには不可欠なのだと思えてならない。
☆ お母さんが何かの事情で亡くなって、その横に障害のある4歳の子が餓死しているのが発見されたという悲劇は本当にやりきれない。
☆ 今日のお昼、自分の関わる法人のうどん店できつねうどんを食べた。とても美味しい。カウンター席で食べていると、店で働く利用者さんが僕のそばにやって来て、小声で「どうしたの? 元気ないねえ」と言って来られた。「もう65歳だしねえ」と僕が言うと、「何言ってんの! まだまだ未来はあるよ! そう考えなきゃ!」と励ましてくださった。知的障害という障害の不思議さを思う。生き難くて、きっとストレスの多い日々を過ごしておられるのかもしれないが、僕の様子を観察して声をかけて下さるという行為は、本当に励まされたし、「そうだ、前を向かなきゃ!」と思わせられた。感謝のひと時だった。
☆ 東京は今夜遅くには雪になるらしい。東京アメッシュのサイトを見たけれど、まだ雪にはなっていないようだ。
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