学生時代、結構真面目な学生の一人だったと思う。図書館にこもって本を読んだ。専門の分野ではない本も結構読んだ。本の購入はもっぱら古本屋だった。決定的にお金がなかった。古本屋と図書館は本当にありがたかった。
何だか難しそうで、でもだから、格好付けてしっかり精読した一冊に波多野精一の『原始基督教』(岩波全書?)という本があった。詳細は覚えていないのだけれど、読み終えた時の感想は「キリスト教は、本当はパウロ教なんだなあ」というものだった。イエスは、宗教団体を創る意図を持って活動したのではなく、内発的なやむにやまれぬ心情から人々に「福音」を述べ伝えたのだけれど、それを宗教として確立し、教会を形成して大きな教団に育てたのは当時の知識階級の一人であったパウロであったのだと思わせられた。詳細は覚えていないのに、この事だけは何故か頭に残っている。でも、今一度読んでみると全く違うのかも知れない。
当時、僕にはこの本は「目から鱗」というか、「ああ、そうだったのか」とビックリする気分にさせられたことだけは事実である。実はこの本は一人で読んだのではなく、さる女性と二人で読んだ。分担を決めて交互にレポートをした。みっともないレポートにならないように、関連のことも調べて熟読したのはそのせいだったと思う。この本を読み終えて、僕はパウロのファンになったし、イエスのファンにもなったのだと思う。もうそうだ40年も前のことだ。あの頃、僕は確かに若かった。