オリンピックの中継の裏で、NHKは連日第二次大戦の検証番組を放映している。今夜もBSハイビジョン放送で、フィリピン・マリラでの市街戦がどのように行われどの様に多くのフィリピン人が犠牲になったか、日本とアメリカの戦争によって、フィリピン人がどれだけ苦難を強いられ、今も苦しんでいるか、今も涙なしには語れない生き延びた人々の証言と、生々しい映像が放映されたいた。 (そう言えば、通常の番組で、オリンピックの開催に合わせるように戦争を始めた国(ロシア! グルジア!)と、そこで落命し、悲嘆にくれている人々のニュース映像も流されていた!!!)
僕が初めてフィリピンに行ったのは、もう15年以上も前になる。パナイ島のイロイロ市郊外の町にホームステイをし、70歳代のお爺さんと同じ部屋で、ベッドを並べて寝た。彼の英語は、元々英会話の能力に乏しい自分だけれども、さらに一層聴き辛い英語だったけれど、彼の語る切々と胸に迫る言葉に僕は釘付けになった。日本軍の行った様々な蛮行は朝鮮半島でのそれとほとんど同じもののように思われた。そして、韓国の老女からも言われた「あなた方若い人たちを責めるつもりはない。でも、二度と同じことをしてほしくない」という、同じ趣旨の言葉を彼からも聞かされた。僕はただただ聴くことしか出来ず、彼と握手をし、夜遅く眠りについた。
その翌日は朝5時頃から鶏がけたたましく鳴いて、カトリック教会の鐘の音が鳴り響いて、そのお爺さんも朝のミサに出かけて行った。水を売る人たちから人々は水を買い、僕は小学校で授業を参観させてもらった。その日はバレンタインデーで、夜には教会の庭で持ち寄りパーティがあり、老若男女がダンスに興じた。僕は、まだ20歳のミンダナオ島出身の若い女先生とペアを組まされて、生まれて初めて汗だくになって我流のダンスをした。その後、10歳の男の子に連れられて村中を案内されて、あちこちの家で挨拶をし、お菓子などをいただいた。楽しいひと時だったけれど、お爺さんの言葉がずっと尾を引いて、後にマニラで要塞の跡や慰霊碑を訪ねた時も、彼の言葉がずっと背景になっていた。
皆がオリンピックに浮かれている時にも、NHKは一方で良心的な番組を作っていると思う。ただこれはBSハイビジョンという多くの人が観ることができない放送?かも知れないのが残念だけれど…。
高齢化した当事者から多くの証言を集めることも、そろそろ限界になりつつあると思う。大リーグ中継にいったいどれだけお金をかけているのかと憤慨しつつも、この様な番組作りにも力を入れるNHKには頑張ってほしいと思う。