私の左腕は、開放性複雑骨折のために、骨が肉を突き破って外へ飛び出した後が3~4個所、大きく口を開けたままにされていた。 最初に入院した病院で、直ぐに手術をして傷口を縫合したことが全ての間違いの元だったようで、この病院に移って最初にされたことは縫合した傷口をもう一度開いて、骨髄の中から絶え間なくわき出す膿を吐き出させ、抗生物質(当時ペニシリンと言われていた)を筋肉注射で注入することと、リバノールガーゼと確か呼ばれていた黄色い消毒液をしみ込ませたガーゼを、この開いた傷口から、ゾンデと呼ばれていた金属の棒で押し込んで、一日2回このガーゼを取り替えるというものだった。
ペニシリンの注射は1日に3回(?2回だったかも知れない)、食事の度にお尻や肩に針を突き立ててするもので、その内、お尻も肩も青黒く固くなって、看護師が「今日はどこにしようかねえ」と思案する始末で、とても痛い注射だった。また、リバノールガーゼの取り替えはもっと痛くて、特にガーゼを引き出すときの痛さは忘れられない。ゾンデで露出している骨に沿ってガーゼを押し込み(>_<)、また膿がいっぱい付いたガーゼを引き出す作業は痛みとの戦いだった。毎日毎日、繰り返されるこの作業は、今思い出しても辛いものだった。肘の所に神経が集中している所があって、誰でも一度や二度はこの部分をぶつけたりして飛び上がるほどビリビリと痛みが走った経験があると思うけれど、その個所のガーゼの交換は、自分には拷問のように思えた。
2月に入院して、約4ヶ月、毎日この作業の繰り返しだったと思う。徐々に徐々に化膿している部分が縮小し、炎症が治まり、ペニシリンのおかげで自分はいのちを長らえることが出来たのだと今でも思う。この様な経過の後、6月に2度目の手術を受けた。
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