僕の入院していた小児科病棟は、午後2時から6時までが面会時間だった。(ちなみに消灯時間は、夜の7時だった!)この時間に多くの見舞客が来てくれる。僕の母親もよく見舞いに来てくれた。洗濯物を入れ替えたり、コッソリと卵焼きを持ってきてくれたりした。毎日入れ替わり立ち替わり面会者が来る者や、ほとんど来ない者など様々だったけれど、毎日午後2時から6時はあわただしい時間帯だった。
学校の同級生が団体でやって来たりして、他の入院者には大きな迷惑だった。僕にも時々「団体」の見舞客があった。それほど親しくなかった同級生もやって来て、会話に困ったりした。また、クラスの全員が手紙を書いて(それも原稿用紙に!)担任の先生が持参してくれたりしたが、先生の指導で書かれたものか、ほとんど同じ内容の「手紙」で、読むことが苦痛だった。捨てるわけにもいかず、今も自宅のどこかにしまってある。
ある日、S.Kさんという女の子が一人でお見舞いに来てくれた。クラスのアイドル的存在の子で、僕はとても緊張した。ベッドのそばで、顔をくっつけるようにして「○○君のいない△△組は、とっても寂しいから、早く病気を治して、戻ってきてね!」(という趣旨だったと思う)と言ってくれた! 僕はドキドキしながら、「早く治そう!」と心に誓ったりした。
後日談だけれども、小学校の卒業式を控えて、卒業アルバムを手にした時、僕はその中身にとても傷ついて、強いショックを受けたことを忘れられない。僕が入院中にもかかわらず、△△組の皆は、遠足や楽しい学校行事に参加して、そのアルバムには、ニコニコと笑顔で写っている写真があふれていた。その行事の日程を見るにつけ、自分が痛みと闘っていた時期と重なり、見舞いに来た皆にだまされたような、とっても悔しい思いをした。同時に、「僕は、一人ぼっちだ」という強い孤独を感じたりもした。
その笑顔の中に、SKさんの笑顔もあって、「僕がいなくても、誰も寂しい顔なんかしていないではないか」と、とても裏切られた思いをした。
随分すねた心理状態だったのかも知れないが、アルバムを見たときのショックは強烈で、今でも忘れられない。
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