10日以上の日が過ぎて、あと約1時間で11月という日になってしまった。10月は、何故かとても忙しく、目の前の仕事すら片付けられずに、いたずらに時間が過ぎてしまった。こうして残り少ない人生の時間を浪費している自分がいる。僕は、基本的に怠け者だと思う。「明日出来ることを今日するな」という遠藤周作の「ぐうたら人間学入門」?か何かに書いてあった言葉通りの人生を歩んでいるように思う。ゴールを設定してそこへ向かって仕事の段取りをつけて、一日一日着実に歩んでいくという人生を過ごしてはこなかった。しんどいことやきついことを後ろへ後ろへ回して、出来るモノなら回避して生きてきたと思う。こういう人生は、後には何も残らない人生の見本のように思う。
「おのこやも むなしかるべき よろずよに かたりつぐべき なはたてずして」 という、高校の古文で習った短歌を思い出す。その時の古文の先生が「日本男児として生まれたからには、世の中に語り継がれるような名前を残さずに生涯を終えて良いのか いやいけないだろう」という意味だと言われたように思う。
人生には特別な意味はないと思う。たまたま生命を得て、たまたまこの時代に生まれて、たまたまこの国に生まれて、与えられた時間を過ごして人生を終える僕たち。地球の時間や、宇宙の感覚からすれば、一粒の塵のような小さな存在でしかない僕たち。皆そろって滅びへの道を邁進しているようにも思えてくる。
にも関わらず、いろんなことに腹が立つ。例えばいつまでも軍備を持たねばならない人間の浅はかな知恵に腹が立つ。一機120億円もするジェット機を墜落炎上させるなんて! そのジェット機を80機?も所有している(120×80=9600億円!)なんて!!!!
今日は宗教改革記念日だそうだ。1517年10月31日に、マルティン・ルターが、ウイッテンベルグの教会の扉に95箇条の提題を張り出した日だそうである。僕は、ウイッテンベルグに2度行ったことがある。アイスレーベンという、ルターが生まれ、また死んだ街へも行ったことがある。ルターの亡くなった時に使っていたベッドというのが残されていて、とても小柄な人だったんだとビックリしたことを思い出す。ウイッテンベルグの教会内にはルターの小さなお墓があって、そのお墓と一緒に写真を撮ってもらったりした。一度目は1989年3月、まだ東ドイツの時代だった。2度目は2006年3月だった。ルターの勇気ある行動と発言は、活字印刷術の発達と、著作権という考え方がまだなかった時代だったからこそ、わずかな期間にヨーロッパ中に伝えられ、時の人となった。小さなベッドで亡くなった小柄なルターだったけれど、大きな足跡を残した人だったと思う。
支離滅裂な久しぶりの文章となった。
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