知的障がい者福祉施策のこれから
…当事者のニーズに応える施策の展開を求めて…
はじめに
戦後継続されてきた措置制度を前提にした社会福祉諸制度の根幹を変更する、「社会福祉基礎構造改革」と言われる制度改革は2000年4月にスタートしました。
当時の厚生省による「社会福祉基礎構造改革について」(社会福祉事業法等改正法案大綱骨子)に示された理念と、具体的な改革の方向の中心は以下の点でした。
「◎個人が尊厳を持ってその人らしい自立した生活が送れるよう支えるという社会福祉の理念に基づいて、本改革を推進する。
◎具体的な改革の方向
(1) 個人の自立を基本とし、その選択を尊重した制度の確立
(2) 質の高い福祉サービスの拡充
(3) 地域での生活を総合的に支援するための地域福祉の充実」
上記(1)は、自立支援の強調と、自己決定・自己選択の尊重、(2)は、提供されるサービスの質の向上と様々な分野からの事業経営の奨励、(3)は、生活の基盤を施設から地域へ移すこと等々を示しており、それまでの社会福祉に関わるサービス提供のあり方を根本的に変更しようとするものとして受け取られました。
この方向転換は、具体的には「措置から契約へ」や、「施設から地域へ」や、「自立支援」と言ったかけ声に代表される諸改革がトップダウンで矢継ぎ早に行われ、知的障がい者福祉の分野でもめまぐるしく制度改革が行われ、当事者やその家族も巻き込んで右往左往の日々を過ごしているのが現状と言えるでしょう。そして登場したのが「障害者自立支援法」であり、そして障害者自立支援法の廃止を公約に掲げた政党による政権交代が行われ、現場ではこれから一体どうなっていくのかという不安も広がっています。
個々の当事者にとって利用しやすく、そして個々のニーズを受け止めることが出来る事業を、安定的に継続して運営・経営することが出来るにはどの様にすべきなのか、また、そこで働く職員たちが“やりがいのある仕事”として誇りを持ってこの職業を選択し、この仕事を継続することが出来るようにするにはどうすれば良いのか、先行きが見ない中で考えられることをいくつか指摘しておきたいと思います。
①「措置から契約へ」
基礎構造改革の中で、行政の決めたサービスを当事者が利用するという措置制度による構図ではなく、多くの選択肢の中から当事者が自分にとって意味のあるサービスを選択し、事業者と対等な立場で契約をして利用するという画期的な制度改革が行われました。これは、戦後続いてきた措置制度を根本的に変更するものでした。こうすることによって、劣悪なサービス提供者は取捨選択されることで事業が成り立たなくなり、全体として提供されるサービスの質が向上することを後押しするという効果も期待されていました。
ところが実際は、選択できるほど事業の種類や数量が存在せず、地域によっては現実的には事業者間の競争も期待できず、一つの事業者の提供するサービスを利用するしかない地域も多く存在し、全体として質の向上に資することには必ずしもなっていないようです。
また、契約という行為は、対等の立場であることが前提ですから、事業者側にとって「都合の悪い」、あるいは「手のかかる」「手に負えない」当事者との契約を、事業者側から拒否することが出来、措置時代には拒むことが出来なかった受け入れを、堂々と拒むことが出来るようになったという、ある意味では制度改革が予期しなかった事態が各地で起きるという結果を招いています。その結果、非常に「重度の」強度行動障害のある人達や、盗癖や飲酒癖等の刑罰法令に触れる行為を重ねる可能性のある人達がどの事業者とも契約が出来ずに所属する場が得られず、終日自宅に閉じこめられて、一ヶ月の外出が1回しかないといった事例が筆者の知る範囲でもあちこちで報告されています。
この様な状況から、手厚い支援を必要とする人たち(その中には、二次障がいと言える生活環境に起因する重度化を否定できない人の場合もあると思われますので、幼児期から成人にいたるまでの各ライフサイクルを個別的に支えるケアを充実させて、成人後の重度の強度行動障害を軽減する試みと、その研究に取り組むことも不可欠と思います。また、すでに治療が必要ではないにもかかわらず、受け入れ先がないために精神科病棟から退院ができず、場合によってはその保護室に入れられていて、病院も困り果てている事例等も
存在します。)に対応できる事業のあり方を早急に開発する必要があると思われます。
②「施設から地域へ」
この改革以降、大規模な入所型施設の組織替えが次々と行われ、地域社会の中にグループホームやケアホームが数多く開設され、地域社会から遠く離れた山里の施設での暮らしから「解放された」人たちが、地域住民の一人として地域社会と関わって過ごすことが出来るようになり、一人一人の当事者の人生に大きな変化をもたらすことが出来るようになりました。入所施設から外に出てグループホームで暮らす人たちの話を聴くと、入所施設での集団生活の不自由さと騒がしさから開放されて、ある程度自由に行動できるグループホームに移ってきて「本当に良かった」という感想を述べる人たちが多くいることに、「本当に良かったなあ」と率直に思わせられます。
その一方で、これも事業経営者の考え方の問題ですが、例えば定員7人づつのグループホームとケアホームを2階建てで建てて運営する等を見ると、それは「小さな入所型施設」でしかなく、地域社会の中にあっても孤立した特別な場所のように思えて仕方がありません。経営の効率化を考えるとわからなくもないのですが、本来の趣旨に反するように思えて仕方がありません。
また、制度的には、世話人としてパートの主婦の方に働いてもらうことを想定した基準でしかないように思えるのですが、地域によってはそれが逆に、パート就労を希望する主婦のニーズに応え、一定の地域貢献が出来ており、地域経済にも貢献する結果となり、多くの市民に認知されるという好結果をうんでいる例もあるようです。しかし一方で、専門性の乏しい主婦の世話人によって当事者の基本的人権が損なわれ、深刻な相談を受けた経験も忘れることが出来ません。
世話人の待遇改善と専門性の向上、研修の必修化、スーパービジョンを受ける体制の確立など、当事者と一緒に居ながら一人職場になる可能性の高い職場として、様々なリスクを軽減する制度的な手立てが不可欠だと思います。
③「自立支援」
さて、知的障がい者にとっての自立支援は、単に一定の収入を獲得して一人暮らしをさせることを意味するものではありません。もちろん、単身生活が可能な人もいるでしょうし、結婚して夫婦で暮らすことが出来る人もいると思います。ただ、多くの知的障がい者は、経済的な自立や身辺自立ができても、社会的自立の点でサポートが必要な人が多いのです。
毎月、毎日の金銭管理や、職場や近隣の人たちと適度に距離をおきながら良い関係を継続させることや、日々の衣食住に関わる生活上の諸問題や、保健・衛生・健康に関わる諸問題、犯罪被害から身を守る等々は、毎日応用問題を突きつけられているようなものです。(この点、身体障がい者の自立生活を支援する仕事に歴史があり、経験も豊富な各地の自立生活センター・CILから学ぶことが多いと思われます。)決まったことを継続して取り組むことに力を発揮することができる知的障がいの人たちは、応用問題の解決に特別なサポートを必要とする人たちなのです。
繰り返しますが、応用問題が苦手な知的障がい者の多数派に属する人たちにとっての自立生活は、単身生活などでは決してないと思います。終生社会的自立と呼ばれる側面をサポートする体制が彼らには不可欠だと思うのです。現状では、グループホームはその形の一つでしょうし、もっと地域社会の中で24時間必要に応じて手を差しのべられる新しい事業が工夫されても良いのではないかと思います。
終りに
知的障がい者福祉の分野で抜本的な見直しが必要なことの一つに、働く人たちの待遇の問題があると思います。特に支援職員の人たちが誇りを持って仕事を継続できるための条件整備という課題です。私はこの仕事の一端に関わってみて、この支援職員には“ケアワークの出来るソーシャルワーカー”としての資質が求められていると思うのです。
「何でも屋」とか「雑用係」とか、自分たち自身を笑い飛ばす言い方をする職員の方々がいます。しかし、知的障がいの人々やそのご家族と関わっていると、日々のケアをきちんと遂行しつつ、ソーシャルワーカーとして個々の利用者のニーズを把握し、その人の能力を十分発揮できるように工夫を重ね、正確なアセスメントに基づいて将来を見通した支援計画を立て、家族や他機関と連携を密にして、この計画にそって支援を続けるという仕事はソーシャルワーカーの役割そのものであると思うのです。「何でも屋」という表現に良くその特徴が表れていますが、私はこれを非常に“間口の広い専門職”と言いたいのです。この様な人がすぐそばにいることが知的障がいの人々にとっては必要・不可欠なのです。この困難な職業に見合う待遇改善が必要です。そのための資格要件の整備も必要だと思います。
これからどういう方向へ知的障がい者福祉は進んでいくのか定かではありませんが、上記の諸点に配慮した制度改革を期待するものです。