インフルエンザのために呆気なく亡くなる人がいる。小さい子どもたちの死は本当にやりきれない。その家族の人たちのことを思うと気の毒で、励ます言葉もない。
2年前に自分の孫が急性脳症になった時のことを思い出す。子どもたちにとって、いのちを維持することの大変さと、偶然性を実感させられた。ひょいとあちらへ行ってしまいそうな危うさを思わせられた。ICUに入院していた多くの子どもたちの中から、自分の孫は無事生還し、今は元気に過ごしているけれど、本当に最後は本人の生命力だけが頼りだったと思う。あの時ICUから生還出来なかった子どもたち、生還したけれども後遺症が残った子どもたちがきっと何人もいただろうと思う。きっと今もあの時と同じ状況が繰り返されているのだろうと思う。
この国の相対的貧困率が15.7%になり、6人に1人が貧困というカテゴリーに入るそうである。(前政権はこれを公表してこなかったそうだ!) 先日、定年後の職を求めて求人に応募される人とお話をする機会があったが、高齢者だけでなく、多くの若い人たちが常勤正職員になれないこの時代をどう考えたらよいのだろう。将来への希望も、生活設計も成り立たない若者が増える社会は、希望のない社会なのではないかと思う。
全国の橋や、道路や、ダムや、空港や、防波堤や、補修が必要だが予算が乏しくて補修が出来ず、危険な状態になっている所がかなりな数になるという。政治家も役所も、この50年、新しく作ることばかりに力を入れて、維持・補修にほとんど関心を持たず放置してきた結果ではないかと言う。そして築後50年を経過した頃から急速に危険性が増すこれらの構造物は、主として1960年代以降に作られたもので、次々と50年を経過する日を迎えることになるという。これからまだ新しく作ることにばかりエネルギーを使うのではなく、「光の当たらない問題とどう向き合うかが大切になってくる」(福井秀夫氏)のだと思う。
非正規雇用が当たり前の国にしたのは誰か? 50年もこの国をコンクリートで固めることばかりに力を入れてきたのは誰か?
多くの政治家が、国の未来や国民の生活よりも、自分と自分に関わる者たちの利益を優先して政治を進めてきた結果が現状を生んでいるのではないだろうか。
悲しくなるような事件の続発の記事も加わって、新聞を開くと暗澹たる気分にさせられる今日この頃だ。
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