地元の自治体から、『ごみ・資源分別辞典』が届けられた。A4版79頁の『辞典』と、同じく32頁の『ごみ・資源の出し方カレンダー』の二冊からなっていて、これに従ってきちんとゴミと資源を仕分けして決められたルールで出すようにというものである。実に細かく、詳細に記されている。
「先進国」に暮らす僕たちは、毎日多くのゴミを出し続けている。自分の子どもの頃は、庭にゴミを捨てる場所があって、生ゴミからは堆肥を作って、燃やせるものは燃やして、その灰をまた畑の土に混ぜて使っていた。考えてみると、何が増えたのかというと、ビニールとプラスチック製品のゴミが圧倒的に増えたのだと思う。庭でゴミを燃やしたりしたらきっと近所から苦情が来るだろうし、アパート住まいだとそれも出来ない。
できるだけ再生や再利用が可能な容器や包装にしていく必要があるということだろう。
随分以前に、フィリピンの2ヶ所の「スモーキーマウンテン」に足を踏み入れたことがある。1ヶ所は海岸際の、確かトンドと言ったと思う。もう1ヶ所は、…名前を忘れてしまった。海岸では、泥水のようになった海?河口?に胸まで浸かって、ゴミの中からビニール袋を仕分けして集めている光景が忘れられない。もう1ヶ所は、丘陵地帯にあって、ゴミのトラックがやってくると子ども達がその周りを取り囲んで、換金できそうなものを物色している凄まじい光景だった。自然発火して煙が辺りに低くたれこめていて、悪臭が身体全体にしみ込んで来るように思われた。地表30㎝くらいの高さにハエが群舞していて、ゴミの山が今にも崩れてきそうに思われた。この様な中に人々は暮らしていて、バスケットコートがあったりして、ただただ絶句だった。ここにも日本のNGOの人たちが働いていた。
自分は国内では行ったことはないが、夢の島なんかも、さすがに人が住んでいたり、ゴミをあさる人はいないだろうが、ゴミの山そのものは同じような光景だったのだろうと想像される。
元ゴミの山だった所が現在は公園になっていたりして、見事な管理ぶりに敬服させられる。京都の伏見区の淀の近くも昔そんな光景があった。韓国のソウル郊外にも同じような場所があって、元ゴミの山だったとは想像付かない状況になっている所は世界各地に存在するのだろうと思う。
それにしても、マニラ近郊の…、(そうだ、パヤタスと言ったか?)あの「山」はどうなっているのだろう? トンドは僕が行ったすぐ後に立ち入り禁止になったと聞いたけれど…。
先の『辞典』を見ていて、知的障がいの人たちが地域社会の一員として単身で暮らすことの困難さをあらためて思わせられた。とてもサポートなしで、この『辞典』通りに仕分けして、分別収集に協力するのは無理な人も沢山おられるように思う。要介護の高齢の人たちも同じかも知れない。きめ細かいサポート体制が必要だろう。