自分の関わる社会福祉法人が土地を取得し、来年8月以降の新規事業所のための工事を始めることになり、地鎮祭が行われた。
神道式の地鎮祭に出席するのは初めての経験であった。
紅白の幕に囲まれたテントの中で行われ、参列したのは男ばかり20人ほどで、途中から激しい雨が降り始め、一つ一つの所作の意味もわからない中、また神主の言葉もほとんど意味が解らないまま、滞りなく式は終わった。祭壇は三段になっていて、上の段の中央に御神酒が入った大きな徳利?が2つ、その右側に紅白(下が白、上が赤)の鏡餅、左側に乾燥させた昆布の束が立てて置かれていた。中段は、右側に、胡瓜、茄子、薩摩芋、人参、キャベツが置かれ、左側にはリンゴ、オレンジ、パイナップルが置かれていた。これらは全て三宝に乗せと置かれていた。下の段は榊を置く場所になっていた。下段の右側に鎌が置かれ、そこに鍬と鋤が立て掛けてあった。
手前右側に綺麗な円錐形の砂の山が作られ、左側に神主の座る椅子と榊を置く台が設けられていた。
ビックリしたのは、神主が祭壇に向かって拝礼?をする際に、背筋をピンと伸ばしたまま、ほぼ90度に腰を曲げて何やら唸り声!?を発するのだが、この姿勢を式の間に20回くらいはされて…、後でやってみたが自分にはとても苦痛な姿勢であった!
僕の出番は二度あり、最初は「忌み鍬」というもので、神主から鍬を受け取り「えい!…」と声をかけながら砂の山に鍬を三度打ち下ろすもので、次は榊を受け取って祭壇に奉納するものであった。いずれも片腕でやるには形が奇麗ではなかったし、柏手を打つことが出来ないのもハンディであった(-_-;)
全てが終わって神主を真ん中に記念撮影をした。これらは全て工事業者が取り仕切って行われた。
さて、以前の僕なら、この様な神道式の儀式には参列しなかったと思う。自然崇拝の神道の考え方は、日本人の僕には結構すんなりと受け入れられるし、違和感はないのだけれど、第二次大戦時の神道の果たした役割と、それに対して全く反省の姿勢を示さないように思える神社本庁の姿勢がどうしても許容出来ず、神社そのものを忌み嫌ってきた。各地で行われるお祭りは大好きだが、神社本庁の「政治姿勢」はどうしても「許せない」ものだった! だから、この様な式には顔を出さなかったと思う。ところが…、段々自分も「いい加減」になってきて、「義に竿指せば角がたつ」と言うか、節操のない生き方に変わってきたと言うか…、いずれにしても情けないことではある。
工事が無事、事故なく行われることを切に願う点は、表現の仕方はどうあれ、本当に切に願っていることにかわりはない。
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