入院中、色んな人たちが、「○○に効く」と言って、様々な「お札」類を持ってきて下さった。こんな事態になったのは、先祖をきちんとまつらないからだとか、怪我の原因を何か僕自身や家族が、やるべきことをやらなかったために、そのせいでこうなったのではないかという言い方であり、因果応報的な考え方であった。これは、当事者にとっては気分の悪いモノで、落ち込んでいる気持ちをさらに落ち込ませようとするものだった。
PTAの皆さんが、○○神社でお百度参りをして下さって、神社で祈祷をしてもらったタオルとか、御札とかは言われるままに柱に貼ったり、腕の下に敷いたりした。母はクリスチャンだったけれど、「折角行ってきてくれはったんやさかい、ちゃんと敷いて寝えや」と言って、僕に、敷いて寝ることを求めていた。
6年生の夏だったと思う。その頃僕は病院を退院して一ヶ月も経っていなかったけれど、自宅にいた。ある時、自宅に、某宗教団体の男性(複数だったかも知れないが、僕は一人の男性のことだけを良く覚えている。)がやって来た。両親の知り合いの人物だったのかどうかわからないが、その男性は、わが母に、しきりにキリスト教徒だからこの様な罰が当たったと言っていて、最後まで母はキリスト教を棄てることも、その男性の属する宗教団体の催しに参加することも拒んでいたところ、最後にその男性は大きな声で、「いつまでも罰当たってやがれ!」という捨て台詞を残して帰って行った。非常に後味の悪い出来事で、この宗教団体には以後一切近づくことも出来ないし、冷静に応答も出来ない自分がいることを認めざるをえない。
高校生になった時、同級生の男子が、この宗教団体の教典?を僕に貸してくれて、是非読めと言うので、興味本位で読んでみた! 僕の過去の嫌な体験について彼には言わなかったけれど、身体が不自由というだけで、あの頃いろんな宗教団体の人が近づいてきて、僕の宗教不信はかなり深まったと思う。人の弱みにつけ込むようなやり方に、辟易とさせられた。