昨晩、二日続きでNHKのドキュメンタリー番組を見た。ある弁護士さんから、このドキュメントの製作に関わった人からのメールが転載されていて、是非観て欲しいとのことだった。
じんわりと、わき出て来る感動を覚えたし、沢山考えさせられた。知的しょう害のある青年と彼の里親である女性と、その女性の親や、きょうだい、親族、青年の勤務先の人たち、そして精一杯生きている青年自身!!! 皆々、登場される誰もが、青年の周りに自然な形で存在し、「思いをなかなか上手く語れない彼」の思いを、ゆっくりと待って、しっかりわかろうとして、共感にいたるプロセスが本当に良く伝わってくるドキュメントだった。
彼、21歳のひろしさんは、自分の周りで起きる日常のディテールをとてもよく観察していて、自分の過去を、生い立ちをしっかりと振り返ることが出来て、その辛い過去の思い出の中に、「子守歌を歌ってくれる」「ねんねんよと言いながら背中をトントンとたたいてくれる」という人が登場し、それまで施設では誰もしてくれなかったことを里母はしてくれて、きっと、「この人は違う」とビビッと感じて以来、彼は里母を慕い続けて生きてきた。考えてみれば、「子守歌を歌う」ことや、「背中をトントンとたたく」ことなど、普通の親なら当たり前にすることを、施設ではしてもらえなかったと言う。悲しいことだ。
…施設で働く人たちにゆとりがない。大勢の子ども達を少ない人数でケアしなければならず、特に寝かしつける時間帯の職員の大変さも少しは知っているつもりだけれど、この国の福祉現場のゆとりの無さを思ってしまう。(知的しょう害のある子ども達の施設で、午後から眠るまでの時間を一緒に過ごさせてもらって、その大変さは、まさに大変であって、一人一人の子ども達が、自分に寄り添って欲しいと切に願っていることを十分承知しながら、それが出来ない自分が腹立たしくなったことを思い出す)
また、彼は緊張すると身体が硬直し、あごを突き出すような、非常に不自然な姿勢になってしまう。自宅では本当にくつろいで笑顔で居る彼が、職場ではこの不自然な姿勢で仕事をしていて、他の職員の流れについて行けない。彼の職場の上司や同僚は、どうすれば彼が落ち着いて皆の流れに乗って働けるか、彼も加わって一緒に相談される。(僕は、実は、この場面にも敬服した。)上司の方々は、ひろしさんに意見を求め、なかなか言葉に出来ない彼をじっと、根気強く待って彼の一言一言をしっかり聴こうとされていて、この「待つこと」「聴くこと」が出来る上司の下で働けることは知的しょう害のある青年にとっては、本当にありがたい環境だと思う。ひろしさんの希望を入れて、結局正社員として働けることとなり、「不自然な姿勢」も随分緩和されて、「彼が、努力しながらも、彼のままで働ける職場」になりつつあるんだなあと観ていて実感できたように思う。
彼が、何度も何度もビデオの同じ場面を再生し、画面のすぐ前でそれを観ながら、口にする断片的な言葉の一つ一つも、彼を知る上で不可欠な側面の一つだった。けれど、里母さんは、彼の細かいことにはこだわらず、いつもゆったりととした姿勢で彼と関わり、彼に支えられてもいることに気付かれ、互いに支え合って、励まし合って生きていることを実感されている様子で、今後もまた次々と人生の課題は迫ってくるだろうけれど、しなやかに乗り越えて行かれるだろうなと思わせられるラストシーンだった。映像化できることは実像のほんの一部だとは思うが、こういう人たちの輪を見せてもらうと、人間の可能性を思うし、この頃どこかにしまい込んでいた「希望」という言葉も思い出してしまう。
いつか、このドキュメントのことをきちんと振り返ってみたいと思う。
こういのを観ると、やっぱりNHKだと思う。